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プラトン『メノン』を考察「永遠なる輪廻転生の円環と想起(アナムネーシス)」

2019年4月10日

私たちは、一言で花といっても、バラ、コスモス、チューリップ、デイジー、朝顔、桜などがあり、これらはまったく形が違うのに私たちはこれらを無条件で花と判断する。

一言で花といっても、バラ、コスモス、チューリップ、デイジー、朝顔、桜などがあり、これらはまったく形が違うのに私たちはこれらを無条件で花と判断する。

プラトン『メノン』のあらすじ

20歳の青年メノンをソクラテスが挑発! 
「徳(アレテー)は教えられうるか」というメノンの問いに対し、ソクラテスは、その前に把握されるべき「徳とはそもそも何であるか」と切り返す。
そして「徳」を定義する試みから知識と信念、学問の方法、魂、善をめぐって議論は進んでいく。
「哲人政治家の教育」という、主著『国家』の中心テーゼであり、プラトンが生涯をかけて追求した実践的課題につながる重要な短篇。

はじめに

プラトンによると、正確な円、完全という概念、愛、正義を私たちが理解できるのは魂がそれらのイデアを思い出すからであるという。
この想起(アナムネーシス)は後の世のデカルトの人間は生まれながらにして理性を持っているという生得概念に続くテーマである。
デカルトもプラトンと同じく善悪の区別などの道徳概念、完全な概念などを先天的な人間特有の観念である生得観念と主張した。
ここではまず、探究のパラドックス、イデアの定義、想起と順を追って考察していく。
最後に、想起についての理解を足がかりとして、道徳や平等など現代に通じる普遍的な問題についての考察も加える。

探究のパラドックス

冒頭、メノンがソクラテスに徳は教育で得られるものなのか、あるいは生まれつきの資質によって得られるのか、もしくはそのほかの方法で得られるのかということを問うことからこの作品は始まる。

「徳とは人に教えられるものなのか?」と問うメノンに対して、ソクラテスは、彼自身の哲学「無知の知」に基づき答える。
徳について明白な考えを持つメノンはソクラテスの返答に対し、「探究のパラドックス」を提起する。
それは、何を目標に探究し、たまたま出会ったとして、どのようにして自身が知らなかったということを知ることができるのか。
つまり、何であるのかも知らないものを、どのようにして探求し、そこから新たな知識を見つけ出すという知の探究は不可能であるということである。

ただ、メノンの問う「徳」は、男の徳、女の徳、老人の徳、勇気、節制、思慮などをあげるのみで、彼自身の明確な徳の定義はできていなかったのだ。つまりは単一の徳、いっさいの諸徳のうちに見出せるものをわからないままなのである。
そのなんであるかわからない対象について、その性質を語るのは困難なことだ。

ここで明確な徳の定義ができなかったことから探究主題の喪失に陥るのだが、このことが第二章のイデア、第三章の想起へと連関していく。

イデアとは何か

私たちには完全な三角形を描くことも、作り出すことも、そうだと自信を持って判断することも不可能である。
それでも、三角形に見えるもの、例えば、おにぎりが完全な三角形ではないのはわかるし、適当に紙に書いた少し線の歪んだ三角形のことを三角形と呼ぶし、三角形みたいな〜と比喩的に使うことが日常生活ではしばしばある。
つまり、頭の中には何かしらの完全な三角形への理解があるからこそ、ある対象を三角形、もしくはそれに近いものであると判断できるのだ。

プラトンによるとこれが「三角形のイデア」ということになる。
さらにプラトンは、犬には犬のイデア、木には木のイデアがあると考えていた。
また、人間がふだん認識する現実世界には様々なものが存在し、それぞれにイデアが存在しているのだ。

たとえば、一言で花といっても、バラ、コスモス、チューリップ、デイジー、朝顔、桜などがあり、これらはまったく形が違うのに私たちはこれらを無条件で花と判断する。
これについてプラトンのイデア論から考えると、私たちはイデア界にある「花そのもの」、つまり花のイデアを分有しているからということになる。
イデアというのはオリジナルであり、そのすべての花に共通した形、花のイデアがあり、それを目で見ることは不可能だが、プラトンは理性の目であればそれを見ることが可能だと考えていた。
ゆえに、私たちは花のイデアを理性の目で見ることができるために現象界に存在する個物、つまり、イデアの模倣品(ミメーシス)にすぎない花を見たときにそれを花だと判断するのである。

私たちが普段生活する現象界に存在する物体や概念はすべて影であり、その概念の実体は、天上界(イデア界)にあるということになる。
そして、プラトンは「正義」や「美」にもイデアがあると考え、その中でも「善」のイデアが最高のイデアだと考えていた。
ただし、日常にある「正義」や「美」は二次的なものにすぎず、それらの概念の実体は、イデアが存在するイデア界にある。
さらに、イデアは絶対的な存在であり時代や環境によっても変化することはなく、真の知識とは理性を働かせてイデアを探求することであるとプラトンは考えていた。

想起(アナムネーシス / anamnesis)とは

プラトンによると、私たちが正確な円という概念、完全という概念、愛、正義を理解できるのは魂がそれらのイデアを思い出すからであるという。

人間の魂は不死であり、永遠なる輪廻と転生の円環の中を繰り返すことで、生まれる前からア・プリオリにあらゆることを知り尽くしていている。
そのため、現世における探究と学習のすべては、そうした永遠なる輪廻と転生の円環を通じて心の奥底では既に知っているはずのことを改めて思い出すというのだ。

このような知の働きのことを想起(アナムネーシス)という。
この想起は、後の中期対話篇で頻出することになる「想起説」が、はじめて明確な形で打ち出されたものであり、イデア論をある程度補完し基礎付けるものである。

本篇では、その想起と呼ばれる知の探究のあり方を実際に例示するために、ソクラテスとメノンの召使いによる地面に描かれた正方形の二倍の面積を持った正方形を図示するという幾何学的な知の探究が提示されている。

はじめの方こそ的外れな答えばかりで正解には程遠い少年がソクラテスが投げかける様々な質問をきっかけに試行錯誤を繰り返し、徐々に正答へと近づいていく。
最終的に少年は自身の力で、正方形の二倍の面積を持った正方形を示す正答を見つけ出した。
この一連の幾何学的な知の探究の議論においては、幾何学における真理を少年が自身の力で見つけ出していくという想起による自発的な学習の過程の実演が示されている。
ここでは、対話者が自ら持っている意識していた以上のものを自分自身のうちに見出すようにさせる、対話による共同の探求となっている。

つまり、想起により諸々の真理を各人があたかも以前から知っていたかのように自分のうちに発見できるのは、アプリオリな認識の発見であり、他方では認識の自律性の発見ともいえる。
徳は知であり、徳は知でなければならない。
徳は有益なものであり善である。
有益には徳を前提にしないものはなく、知を欠けばそれらは成立しないからだ。

この想起と呼ばれる自発的な学習の過程としての知の働きは、あらゆる学習と知の探究の根底に存在していて、そうした人間の魂における自発的な学習と知の探究のあり方こそが、輪廻転生説を引き合いに出すことによって想起説の議論で示されているといえるだろう。

また、「想起説」 については、 『パイドン』 での詳しい説明が有名で、 こちらでは「等しい」 こと、「似ている」ことが例に挙げられる。

人があるものを別のものが似ている、等しいなどと区別できるのは二つのものを比べるのではなく本質を知っているのだという。
人は具体的な事物がどんなものかを感覚を通して学ぶが、感覚についてはあくまで個々の事物の色合いや形のみを教えるものであり、「等しさ」それ自体とか「類似」それ自体が何である かということを教えはしない。
それゆえに、それらのことは私たちが後天的に経験から学んだものではなく、いわば生得的に何らかのかたちで所有していたと考えるほかはない。

このようにして「等しさ」や「類似」のイデアは説明される。
魂が生来もっている隠された記憶の想起とし、プラトンが想起説という考え方で示そうとしているのは、人間が言葉によってものごとの「本質」を取りだしうるその「可能性の原理」ということである。

おわりに

最後に、想起についての理解を足がかりとして、道徳や平等など現代に通じる普遍的な問題についての考察を加える。

単純な遊びの動作が完了した場面で、プロセスを最初から組み立てて「もう一回」繰り返す。
それは完全という概念によるものではないだろうか。

人間は共感することで精神的に育っていく。
道徳についての学びも同様で共感が人間を育てる。
どうして共感できるのかという問いについても実は対話による共同の探求であり、想起で説明できるのではないだろうか。
経験がイデアを呼び起こし、共感できるのではないだろうか。

人間は自分自身の存在価値について常に不安を抱き、また、ここの能力差において不平等な存在とされている。

だが、この想起という知の働きが、あらゆる学習と知の探究の根底に存在し、人間の魂における自発的な学習と知の探究のあり方としてあるのなら、人間は平等であるということになるのではないか。
つまり、人間の魂は不死であり、永遠なる輪廻と転生の円環の中を繰り返すことで、生まれる前からア・プリオリにあらゆることを知り尽くしていているとしたら、私たちは想起により諸々の真理を各人が自分のうちに発見する責任があるともいえるからだ。
ただし、想起により平等さを約束されるということはある意味においては逃げ道がなくなりすべては自己責任として重くのしかかるかもしれない。
だが、不平等を嘆いて生きるよりも経験から想起し、喪失からの獲得ができるのであればそれは幸せなことなのではないかと思う。

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プラトンを学びたい人におすすめの本一覧

水崎 博明 (著)『「ある」ことと「知る」こと〈第1分冊〉メノーン (プラトーン著作集)』櫂歌書房、2013年

内山 勝利『プラトンを学ぶ人のために』 世界思想社、2014年

竹田青嗣『プラトン入門』ちくま学芸文庫、2002年

ピエール・マクシム・シュール / 花田 圭介 (翻訳)『プラトン作品への案内』岩波書店、1985年

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麗乃(Reino)

麗乃(Reino)

社会人学生として慶應義塾大学文学部を卒業。 現役の時は青山学院で英文学を、慶應では哲学を学びました。 佐賀県唐津市生まれ、東京育ちのフリーランスのブロガー・美容研究家・サメ愛好家・Webマーケター・SEOコンサル。 大好きな東京タワーのある港区のとある町で夫とカエルとサメたち暮らしています🐸🦈🗼 UK Rockをこよなく愛するバンドThe Charlene.(シャーレイン)のボーカルMiuとしての顔もあります😎 詳しいプロフィールはこちら

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